ホーム > 観光スポット・常滑の歩き方 > 「江」と大野町
江、その頃わずか10歳
彼女が見た大野の町を訪ねる

大野と佐治一族の史跡

左)大野城跡:伊勢湾を見渡す高台の城跡。佐治氏の居城だった場所で、水軍・海運の見張りに活躍した城だったでしょう。現在は城を模した展望台があり城山公園となっています。
右)十王堂:黒々とした瓦屋根と白壁が異様な存在感を放っています。古文書によると1578年にはすでに建っていたといい、江が嫁いできた頃にはすでにあったお堂ということになります。現在の建物は幕末に再建されたもの。

左)斉年寺(さいねんじ):佐治氏代々の菩提寺。寺は、佐治氏の大野城落城後ほどなく現在地に再建したもので山門は往時のものといわれます。ここには雪舟の国宝一幅が伝来しています。
右)ビャクシンの巨木:大野の町の一隅に樹齢680年ともいわれる巨木があります。ビャクシンとはイブキの別名。いまだにすさまじい樹勢で空をつきます。680年前といえば1300年頃、江もこのビャクシンを見たのでしょうか。
常滑市観光協会大野支部から
TVで江が放映されるのをきかっけに、彼女にちなむ 散歩コースを定めたり、大野町の歴史展示資料室を開設し、観光客の皆さんをお迎えしようと準備しています。江のことはもちろん知っていただきたいですが、その背景にある大野湊の歴史の奥深さについて発見共感していただけるような取り組みを続けていきたいと思っています。
江は10才で
大野に嫁いだ
2011年のNHK大河ドラマの主人公「江(ごう)」が常滑市大野の領主・佐治一成に嫁いできたのは1583年、その時、彼女は10才の幼さだったと考えられています。彼女は、信長の妹・市の生んだ浅井三姉妹の末娘であり、長女の茶々は豊臣秀吉の側室、次女の初は後に小浜藩主となった京極高次の正室です。信長の親族であり、秀吉の側室を姉に持つ家柄の江が、政略結婚とはいえ、なぜ小さな所領のここ大野に嫁いできたのでしょうか。
大野湊に佐治一成あり
当時、大野は伊勢湾における重要な港町で、ここを制することが、軍事・海運ともに絶対とも言える戦略拠点でした。ここを領していたのが、江の嫁いだ佐治一成です。秀吉はここに「江」を送り込むことで、佐治氏および大野を支配下に置きたかったのでしょう。
わずか3年で離縁
しかし、江が嫁いできた翌年、一成は秀吉に反旗をひるがえします。小牧長久手の戦いで、家康方に味方したのです。当然ながら秀吉は激怒し、江と一成を離縁させました。3年ほどの結婚だったといわれます。その後、一成の佐治氏は没落しましたが、江は21才のとき、三度目の結婚で徳川二代将軍・秀忠の正室となります。彼女の生んだ男の子がやがて三代将軍の家光となり、江は天寿を生き抜いて1626年、53才の生涯をとじました。今、大野には、まきわら船がでる山車祭りが伝わっています。水面に揺らぐ光を見ていると、江のはかなさとかなしさが、静かに照らし出されているように感じます。
