廻船問屋瀧
飾りと“おこしもの”木型


期間
〜3月20日

毎年恒例の瀧田家所蔵のお雛様の展示に併せて、この地方の
お供えのお菓子“おこしもの”の木型を主屋にて一斉展示します。
廻船問屋らしい帆船の抜き形の木型もあります。
是非お越しください。








おこしものプレゼント
2月25日(土)、2月26日(日) … 先着50名様
3月3月(土)              … 先着100名様

瀧田家に有料で入館していただいた方に、ひなまつりのお菓子
「おこしもの」をプレゼントします!






瀧田家のおひな様
瀧田家主屋にて展示中です。








  





千両万両有り通し

瀧田家の主屋と離れの庭で新年の縁起物、一両、十両、百両、千両、万両がご覧いただけます。
一両の木は別名「ありどおし」と呼ばれ、むかしから「千両万両ありどおし(有り通し)」という
語呂合わせが言われています。
一両、千両、万両を一緒にご覧いただくと、ご利益倍増かも!?



一両(ありどおし)


十両


百両



千両


万両



主屋…一両、十両、百両(紅白)、千両、万両
離れ・・・十両、百両、千両、万両
土蔵では小判がご覧いただけます。





  





廻船問屋瀧田家2階にて
企画展示
「花柳はるみと瀧田いし」

花柳はるみ(本名 糟谷いし)は、1896年(明治29年)茨城県鹿島郡豊津町(現鹿島市)に生まれました。
1918年(大正7年)、花柳はるみは、映画「生の輝き」、「深山の乙女」に主演女優として出演しました。
これは日本で女性が映画に出演した初めてのケースで、花柳はるみは日本初の映画女優としてその名が知られるようになりました。
実は、これ以前の映画では、女性の登場人物は女装した男性が演じていました。
しかし、帰山教正監督は、欧米にならい女性が出演する映画を製作しようと考えました。
最初に出演者の候補になったのは、当時の演劇界のトップ女優「松井須磨子」でした。
しかし、出演料が高かったため、折り合いがつきませんでした。
そこで、芸術座の若手女優であった花柳はるみを起用することになりました。

日本初の映画女優となった花柳はるみですが、その後は映画にはあまり出演しなかったようです。
むしろ、築地小劇場の舞台に立つなど、新劇女優として活躍しました。
女優として輝き続け、「花柳はるみ劇場」をつくることを生涯の夢と考えていました。

ところが、花柳はるみは、1930年(昭和5年)、女優の世界から突然姿を消しました。
そして、瀧田英二と結婚して、瀧田いしとなり、名古屋に移り住み、普通の生活をはじめました。
英二は、東京大学文学部に通い、演劇を学ぶ演劇青年でした。
一方、はるみは京橋(東京都中央区)に「サンチャゴ」という演劇青年でも常連になれる安いカフェを開店させていました。
このあたりに二人の接点があったと思われます。

名古屋に移り住んだ瀧田いしは、1930年(昭和5年)に長男文彦を、1932年(昭和7年)に長女あゆちを出産しました。
1939年(昭和14年)に、英二の実家のある常滑に転居しました。
瀧田いしは、東京を離れてからは、かつての演劇仲間とはほとんど連絡をとらず、女優花柳はるみと決別する決心を固めていました。
しかし、周りからの目は厳しく、常滑での暮らしになじむには苦労したようです。
瀧田いしは、1962年(昭和37年)10月、66年の生涯を閉じました。
法名は「華空春室美心大姉」です。






  






廻船問屋瀧田家(かいせんどんやたきたけ)について

「廻船問屋瀧田家」は江戸時代から廻船業で栄えた旧家、瀧田家の屋敷を復原したもので、
平成12年(2000年)に「旧瀧田家住宅」として常滑市の有形文化財に指定された建築物です。

「瀧田家」は、18世紀初頭から続く旧家で、江戸末期から約40年間にわたり、海運業を営んだ常滑を代表する船主でした。
この屋敷は、今から約160年前、嘉永3年(1850年)に、四代目瀧田金左衛門によって建てられた町家造りの住居です。
「瀧田家」に残された廻船に関する貴重な資料や船道具、家具、生活道具を公開しております。
主屋の二階では企画展を開催中です。
皆様のご来館を、心よりお待ち致しております。

  

場所
廻船問屋瀧田家(やきもの散歩道Aコース内)
愛知県常滑市栄町4町目75番地

開館時間
9:30〜16:30

入館料】  
¥300
 ※20名以上の団体¥200
 中学生以下・障がい者手帳ご提示の方は無料です。

休館日
月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

お問合せ先】 
0569-36-2031










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